東京オリンピック2020大会開催の是非

東京オリンピック開催まで、2か月余りとなりました。5月11日、今日のネットで気になる記事がありました。SNSである水泳選手へオリンピック辞退の要請?が投稿され、それに対する物議が報じられていました。

水泳選手に限らず、純粋にオリンピックを目標に努力している選手の方々には、あきらめずに頑張っていただきたいと思います。それはその人の目標であり、それに向かって努力する姿勢に共感し、心からエールを送りたいからです。

オリンピックは非常に大きな国際イベントであり、開催するか否かで多くの方々の利害に影響します。昨年来の新型コロナ感染症の流行、そして開催まで2か月余りとなった今、まさに第4波と呼ばれる流行の拡大の中で開催の是非を問いたいのだろうと思います。

私は、この状況で安全に開催すること、また準備を進めていくことは無理なのではないか?と思います。一方でオリンピックを目標にしている選手や開催に向けて準備、努力してきた方々の想いや一人のスポーツファンとして競技に集中する選手への応援やその盛り上がりを考えれば、なんとか開催できないものか?との思いもあり、相反する思いを感じています。そのような思いを感じている方は私だけではなく他にもおられるのではないでしょうか。

オリンピックの開催について、私はこのように思います。

開催は主催する東京都、IOCJOCの委員会、政府などのオリンピック関係機関で協議し、決断、決定していただければ良いと思っています。その結果が出るまで、実行する立場の方は実行に向けて可能な限り準備し、また政府や自治体などで新型コロナ感染症を含めた一般社会を考える立場の方はその立場で見て何ができ、何ができないかを明確にし、判断材料を提供していけば良いのだろうと思います。

中止となれば、経済的な効果や影響は莫大でしょう。だからと言って、社会の安全や人の生命が第一であり、間違っても天秤にかけることではないと思います。

私たちには、開催についてそれを選手個人に向けたり、参加をじゃましたりしないことが必要です。選手が目標に向かって進むことは、私たち個々人がそれぞれの目標に向かって進むとと同じです。誰かが抵抗を加えることではありません。むしろ応援すべきことです。

本来、誰しもがわかっていることです。それが今日の記事のように進んでしまうことは、社会の潜在的な歪みが顕在化してきていることを表しているように感じます。

新型コロナ感染症の流行はある種の自然災害と思います。しかも、長く続いている災害です。人類としては何度となくこのような経験をしてきているはずですが、今を生きている現在の社会環境の私たちにとっては未経験です。また、感染症は見えない相手です。未経験の見えない相手との戦いで、実施した効果が直ぐには分からない状況が長く続き、人々の不安が社会に歪を生じているのだと思います。

この先も状況が続き、それぞれにとって不利益が生していくことがあるでしょう。私たちは、新型コロナについて1年余りで多くの事を学びましたが、まだまだ知らないことばかりです。前向きに辛抱強く取り組み、学びを積み重ね、この状況の出口に向かっていくことが必要なのでしょう。

 

草刈り機のキャブレター掃除

草刈り機のエンジンのかかりが悪いので、キャブレターを掃除しました。

 

今年も草刈り機を使用する時期が近づいてきました。

まだシーズン少し前ですが、準備のために試運転しようとしたところ、

エンジンがかかりませんでした。

昨シーズン後半ごろから、かかり具合が悪いと感じたことがありましたが、

なんとかなっていたのでそのまま使い続け、その後放置したままでした。

 

草刈り機は、丸山BIGMで一般ユーザ向けのホームセンター機です。

大きさは23ccぐらいで、そこそこ力もあり、扱いやすく、最も使用する機械です。

スターターを引いてエンジンをかけるのですが、

その前にプライマリーポンプというものを数回程度押して、

燃料の混合ガソリンをキャブレター内に強制的に送り込みます。

 なんとなくプライマリーポンプを押した時に、硬いような感触を感じていましたが、

その時点では特に気にせずにいました。

 

スターターを引いてエンジンをかけようとしましたが、

何回引いてもかかる気配がありません。

そこでプライマリーポンプを見てみると、そこまで燃料が来ていないようです。

燃料が吸いあがらないようなので、プライマリーポンプとそれが付いている

キャブレターを分解掃除することにしました。

 

<D.I.Yレシピ>

〇道具

 ドライバー、針金、キャブレタークリーナー、エアダスター

〇材料

 キャブレターパッキン類(ダイヤフラム)

〇掃除方法

 

キャブレターはワルボロ製のWYL型で、ダイヤフラム式、ロータリー型式

のもので草刈り機では最も一般的に使用されているものです。

キャブレターを分解したところです。

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分解したキャブレター

ダイヤフラムのパッキンは多少硬くなりつつありますが、

特に動作しない程ではない(経験的に)ようです。

キャブレター本体の燃料が通る穴(何カ所かあります)やパイプを

順番に見ていくとプライマリーポンプから燃料タンクへの戻りパイプが

詰まっていることが分かりました。

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詰まっていた部分(黒線の〇)

燃料の混合ガソリン内のオイル部分が寒天状に固まっているようです。

細い針金で固まりに通りを作り、その後キャブレタークリーナーを吹き付けて

寒天質を溶かしながら取り除きます。

キャブレタークリーナーが穴やパイプから噴き出るまで何回か繰り返します。

最後に、エアダスターで空気を吹き付けてきれいにします。

 

ダイヤフラムは今回取り外す時にパッキンに一部剥がれが生じたこともあり、

この機会に新しいものに交換しました。

この他にポンプフラムパッキンというものもあるのですが、

まだ使えそうと判断して今回は交換しないことにしました。

使ってみてあまり調子が良くない時に交換しようと思います。

分解したキャブレターを組み立てして取り付けます。

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キャブレターを再取付したところ

燃料を入れて、プライマリーポンプを数回押します。

今回は、プライマリーポンプまで燃料が来て、一部が燃料タンクに

戻って行くのを見て確認しました。

スターターを数回引くとエンジンが始動しました。

なんとなくまだ調子は十分ではないように思いましたが、

これで使ってみることにしました。

 

石巻でも桜が咲きました

3月30日宮城県石巻市でも桜が咲き始めました。

 

石巻市付近での平年の開花時期は4月中旬頃です。

宮城県気象庁での桜の開花宣言は、仙台市で今年は3月28日でした。

昨年に引き続き3月内での開花、観測記録としては最も早い開花日(同日)

となっています。平年と比べて14日早くなりました。

仙台市では3月31日には満開となりました。

 

石巻市気象庁開花宣言が無いので観測記録はありませんが、

地元の経験としては仙台に比べると3日から数日程度遅いという感じです。

また、今年は特に開花してからの満開になるペースが速いように思います。

実際に仙台でも3日あまりで満開になりました。

石巻でも2・3日程度、今週の土日頃には満開になりそうに思います。

ただ、新型コロナウィルスの流行が宮城県で顕著になっており、

桜の名所となっている場所に行って見ることは難しいかも知れません。

桜の下で素直に春を満喫できる様になってほしいと思います。

 

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桜が咲きました

 

東日本大震災の教訓

前回に続いて東日本大震災についてです。

 

津波の被害と恐怖

東日本大震災では、地震後の津波により

岩手県宮城県福島県の沿岸部ではかつて経験したことのない

非常に大きな被害となりました。

実際にあの津波を目のあたりにした方々にとっては、

黒いかたまりとなった水が襲ってくる恐怖、

今まで住んでいた家や街が破壊されていく悲しさ、

そして親族や親しい方々を亡くした無念の思いは、

経験していない私達の想像を絶するものでしょう。

 

◇自然の驚異

高さ10mを超える津波は、防波堤を乗り越えて、

船や自動車、橋や建物などのあらゆる物を押し流し、

また川を上り、海岸から数km離れたところまで押し寄せました。

時に自然の力は強大で、全く容赦しない、

その驚異をまざまざと見せつけました。

 

◇震災からの復興

震災からの復興事業として、防潮堤、市街地の嵩上げや高台への集団移転など、

多くの大掛かりな計画が策定され実施されてきました。

10年が過ぎ、これらの復興事業はほぼ完了しつつある状況です。

嵩上げや高台移転した街並みは整備され、真新しく生まれ変わりました。

三陸自動車道常磐自動車道東北自動車道から各地への接続道路も整備され、

仙台や盛岡などの内陸部と沿岸部のアクセスが大きく時間短縮され、

交通の利便性は以前より格段に向上しました。

 

◇震災の教訓

この震災のように、二度と同じ犠牲を出してはいけない。

暮らしを取り戻し、築いたものを守る、その思いを考えれば

復興工事のように自然に対抗するかのように対策することも

当然とも思います。

しかし、一方で本当にそうなのだろうか、と思うこともあります。

この震災で私たちが「本当に学び得たことは何なのか」、

10年を経た今、

考えてみることは意義があるのではないかと考えます。

 

災害の教訓は

「自然は人間が考える以上にはるかに強大であり、人間は自然に対して無知である」

ということと思います。

 

人間が物を作り出す際には、自らの経験を基にして、

科学的、技術的な分析をして根拠を見出し、

そして設計し、計画し、実行します。

言い換えれば、経験から想定した範囲内で物事を考えていることになります。

とても自然なことであり、非常に大切なことです。

一方で、私たち人間の経験、特に自然に対する経験とは

如何ばかりでしょうか。

地震津波は地球の地質などに起因する気象的な現象です。

地球の地質は地球誕生以来の歴史のものであり、

約40数億年という途方もない時間を掛けた歴史です。

私たちが現代的な方法で調査、記録として得られる経験は、

昭和以降のたかだか100年程度です。

私たちは自然に対しては無知であり、経験が少ないと知り、

謙虚に向き合うことこそが必要なことと思います。

 

◇おわりに

私たちは、常に前を向き進んでいかなければなりません。

気象や地質を知る努力を続けるとともに、

科学や技術を応用して役立てていくことは必要です。

ただし、自然を知りつくし、予測や制御ができる、という誤認をしないよう

常に注意していかなければならないのでしょう。

 

東日本大震災から10年

2021年3月11日、東日本大震災から10年となりました。

 

2011年

当時、私は静岡県に住んでいました。

私は勤め先の沼津市に、妻と娘は伊東市の自宅にいました。

静岡県でもかなりの揺れでした。

はじめは小さく、ゆっくりとした大きな揺れが数分程度続きました。

なにかこれまで経験した事のない感覚に襲われました。

 

地震の揺れがおさまり社内の状況を確認した時点で、

私は妻に連絡を取りました。

二人が無事であること、妻が石巻登米のそれぞれの母親に連絡を取り、

母親達の無事が確認できたと聞き安堵していました。

その時には、

この後にあのような大惨事が起こるとは予想していませんでした。

 

東北から関東の太平洋沿岸へ大津波が来襲

 

私の母親は石巻市、妻の母親は登米市でそれぞれ被災しました。

地震の揺れはあったものの、幸いにも両者とも怪我もなく無事でした。

石巻市では大津波が来襲し、多くの犠牲者が出ました。

津波石巻市中心市街を直撃し、壊滅的に破壊しました。

 

私が震災後に故郷の地を見たのは、ほぼ半年後の2011年9月です。

何もかもが無くなった北上川河口付近の町並み、

乗り上げた船で通れない通り、ガレキが山積みになった商店街、

人のいないかつて歩いた通り、買い物をした店

言葉も無く、ただ、ただ涙が溢れてきました。

 

私は妻とともにそれぞれの母親が高齢になったこともあり、

2016年に静岡県伊東市から妻の実家である宮城県登米市

移住しました。

既に震災から5年が経過しました。

主要道路や港湾などのインフラ工事が進み、

被災された方々は仮設住宅から新しい自宅や復興支援住宅に

移住みはじめていました。

 

2021年。

震災にあった人々は、互いに助け合い、励まし合い、

復旧、復興に頑張ってきました。

頑張れ!の看板を掲げたり、絆を訴えるメッセージを

今でもよく見かけます。

親しい方を亡くしたり、住む家や仕事場を破壊されたり、

そこから立ち上がるのは、大変なことだと思います。

一人ひとりの行動やその力が基ではあるのですが、

互いに協力しあい、支え合いながらでなければ

続けていくことは難しい、・・・できないと思います。

 

2020年の始め頃から続く新型コロナウィルスの流行が続いています。

新型ゆえに、その感染症の免疫を持っている人はいない

ということです。

1年程経過していますが、まだ決定的な治療薬や治療方法が

確率できていないようです。

 

それゆえに、根本的な対応策は人と人との接触機会をできるだけ減らす

という古来の方法に頼っています。

今日の社会では、個々人の日常生活でのマスクの着用や手洗いなどに加えて

人が集まる施設や会社などでは消毒剤の使用やパーティションの利用により

最低限の社会活動ができるよう対応しています。

 

震災では人と人の繋がりで乗り越えてきました。

ところが、新型コロナの流行では、人と人の繋がりを制限しなければならない。

なんてことでしょう。

 

・・・ふと冷静になると気がつきました。

新型コロナでも、基本は人と人の繋がりなのだと。

確かに物理的には制限しても、

協力し合い、支え合うことには何ら変わりはないのだと。

人々は、新しいコミュニケーションの方法を模索し、動き出しています。

 

2段棚の作成

部屋の窓辺を少しスッキリさせようと思い2段棚を作成しました。

窓辺には高さ38cm☓奥行き40cmの衣装ケースがあり、

置物などを置います。2段棚はその横に並べて使う予定です。

そのため衣装ケースとサイズを合わせたものにすべく、

自作することにしました。

 

<D.I.Yレシピ>

○材料

 合板:40cm☓40cm 3枚、合板:42cm☓10cm 2枚

 1☓4材:71cm4枚、釘

○道具

 丸鋸(のこぎり)、ハンマー、曲がり尺、鉛筆

 

○作り方

 

2段棚は棚板3枚と柱4本と裏板2枚で構成します。

棚板は合板を使用し、40cm☓40cmの同じサイズ3枚です。

柱には1☓4材を使用しました。棚板を含めて下が38cm、上が34cm

の高さになるように2段で長さ約71cmとしました。

この2段棚の柱では上・中・下の3箇所に棚板をはめるための溝を切る

のが特徴です。溝切りには丸鋸を使います。

溝の深さは1☓4材(18ミリ)の半分の9ミリ、幅は合板の厚さ約12ミリです。

丸鋸の刃は7~8ミリ程度出た状態に調整します。

 

丸鋸を1回通すと溝の幅は2ミリ程度です。6~7回程度繰り返して

幅約12ミリ程度にします。

棚の裏側2箇所に42cm☓10cmの裏板を付けてグラつきを防止します。

棚板と同じ合板を使用しました。

 

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棚板3枚と柱4本

作成した材料を組み立てます。

曲がり尺を使用して棚板と柱の角度が90度になるようにします。

釘は初めは本打ちせず(半分ぐらい打ち込む)仮止めします。

仮止めの状態で棚を立ててみて、

ほぼ垂直に立っている、柱が均等に床についている

ことを確認してから釘を本打ちします。

最後に棚板と柱の角度が90度になるように再度確認しながら

裏板を取り付けます。

 

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組み立て途中

今回作成した2段棚(向かって左)を窓辺に設置したのが下の写真です。

 

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設置した2段棚

○ポイント

丸鋸で溝を切るのが少し慣れを要するところです。

経験では刃より1ミリ程度深く削れてしまいます。また、丸鋸への力加減や

傾き加減で+ー1~2ミリ程度深くなったり浅くなったりします。

溝を切ってはめ込むとガタツキが少なく、荷重に大変強くなります。

やれるようになると、この方法は木工での応用が広がります。

 

この1年の変化 「人との交流を減らす社会」

#この1年の変化」 この1年、日常生活のリズムに特に大きな変化はありませんが、社会における人々の行動変容は非常に大きいと感じています。

■人との接触を控える生活

スーパーなどへの日用品の買い物以外は、不必要に出かけることは意識的に控えています。その際に一人で足りる場合は一人にしていますし、また宅配サービスも利用しています。自宅のある地域では、行政が主催する助け合い活動やスポーツイベントなど、より身近な地域のお祭りなどの交流行事がありますが、去年は交流行事はほとんどが中止となりました。人々の交流の機会が減り、地域コミュニケーションの危機を感じます。

■学校ではオンライン授業

去年の3月あるいは4月頃からでしょうか。企業では「リモートワーク」、学校では「オンライン授業」という言葉がよく聞かれるようになりました。

私は教職員ではありませんが、学校が職場です。今年度の入学生(去年の4月入学)は、ほぼ1年間ほとんどがオンライン授業で、キャンパスには数回程度しか来ていない学生も多くいる聞きます。学校側はオンライン授業のための環境整備、先生方の授業資料の準備など、この状況に対応するためとはいえ大変ご苦労されている様子でした。オンライン授業を受ける学生側も、自宅での自己学習が主体となり慣れないことによる苦労が多くあったと思われます。

■オンライン授業は自己管理

当初は、通わなくていいので通学が楽になる、時間が節約できる、そのために融通のきく時間が多く便利、など歓迎する声が多く聞かれたいいます。授業が始まってから数ヶ月経過すると、学生が理解しているかどうかわからない、他の学生と関わりをもつことがなく不安になっている、など不安を訴える声が出てきているようでした。そして、半年以上が過ぎた去年の暮れ頃になると、それまでの期間のストレスが溜まり、孤独感や悩みを訴えている方も出てきているということが多く聞かれるようでした。

年度始めからオンライン授業が開始し、ほとんど学校に通わずに自宅で過ごすことになったことに加えて、家庭でも外出を控える状況が重なり、このように外出せずに自宅内で過ごすという状態が長く続いたと様に思われます。自己学習となれば、自らが学習意識を管理、維持していかなければならない。・・・本当に大変だと思います。親御さんも大変苦労されていることでしょう。

■人との交流を減らす社会

新型コロナウィルスの流行に対しては「人との接触を控える」、社会的には「交流を減らす」ということが統一して実施される対応策と理解しています。改めて述べるまでもありませんが、一つの学校や地域だけではなく日本国内すべてで同じことが要求されます。

■リモートワークの考えはずいぶん前からあった

私はかつてIT系企業の会社員でした・・・もう10年以上も前の事ですが。そのころでもリモートワークの発想がありました。既にメールなどで社外からパソコンでオンライン接続して連絡やデータのやり取りをしていました。また、事業所間ではオンラインテレビ会議が実現していました。原理的には自宅と会社間でも可能でしたが、データ回線のスピードやセキュリティなど、まだ一般利用するには現実的でなかったこと、何よりも社会的な必要性の認識が十分ではなかったこと、などが理由で実施には至らなかったと考えています。

■良くも悪くもリモートの条件がそろった

一般家庭での光回線の利用、家庭・職場・店や人が集まる施設でのWiーFiの利用などのインターネット接続環境が多くの場所で整い、自宅や外出先から学校や会社にオンライン接続することが簡単・手軽にできるようになりました。このなかで新型コロナウィルスの流行があり、学校のオンライン授業や企業のリモートワークの社会的な必要性が明確になりました。

学校の授業内容や方法、企業の業務内容や方法により全てが対象とはならないと思いますが、リモートを実際に実施したことでメリットやデメリットが確かめられたことは意義深いと考えます。こうした状況を肯定的に捉え、この新型コロナウィスルの危機を乗り越え、より建設的に進めていくことで次の新しい社会像が見えてくるように期待したいものです。