東日本大震災から10年

2021年3月11日、東日本大震災から10年となりました。

 

2011年

当時、私は静岡県に住んでいました。

私は勤め先の沼津市に、妻と娘は伊東市の自宅にいました。

静岡県でもかなりの揺れでした。

はじめは小さく、ゆっくりとした大きな揺れが数分程度続きました。

なにかこれまで経験した事のない感覚に襲われました。

 

地震の揺れがおさまり社内の状況を確認した時点で、

私は妻に連絡を取りました。

二人が無事であること、妻が石巻登米のそれぞれの母親に連絡を取り、

母親達の無事が確認できたと聞き安堵していました。

その時には、

この後にあのような大惨事が起こるとは予想していませんでした。

 

東北から関東の太平洋沿岸へ大津波が来襲

 

私の母親は石巻市、妻の母親は登米市でそれぞれ被災しました。

地震の揺れはあったものの、幸いにも両者とも怪我もなく無事でした。

石巻市では大津波が来襲し、多くの犠牲者が出ました。

津波石巻市中心市街を直撃し、壊滅的に破壊しました。

 

私が震災後に故郷の地を見たのは、ほぼ半年後の2011年9月です。

何もかもが無くなった北上川河口付近の町並み、

乗り上げた船で通れない通り、ガレキが山積みになった商店街、

人のいないかつて歩いた通り、買い物をした店

言葉も無く、ただ、ただ涙が溢れてきました。

 

私は妻とともにそれぞれの母親が高齢になったこともあり、

2016年に静岡県伊東市から妻の実家である宮城県登米市

移住しました。

既に震災から5年が経過しました。

主要道路や港湾などのインフラ工事が進み、

被災された方々は仮設住宅から新しい自宅や復興支援住宅に

移住みはじめていました。

 

2021年。

震災にあった人々は、互いに助け合い、励まし合い、

復旧、復興に頑張ってきました。

頑張れ!の看板を掲げたり、絆を訴えるメッセージを

今でもよく見かけます。

親しい方を亡くしたり、住む家や仕事場を破壊されたり、

そこから立ち上がるのは、大変なことだと思います。

一人ひとりの行動やその力が基ではあるのですが、

互いに協力しあい、支え合いながらでなければ

続けていくことは難しい、・・・できないと思います。

 

2020年の始め頃から続く新型コロナウィルスの流行が続いています。

新型ゆえに、その感染症の免疫を持っている人はいない

ということです。

1年程経過していますが、まだ決定的な治療薬や治療方法が

確率できていないようです。

 

それゆえに、根本的な対応策は人と人との接触機会をできるだけ減らす

という古来の方法に頼っています。

今日の社会では、個々人の日常生活でのマスクの着用や手洗いなどに加えて

人が集まる施設や会社などでは消毒剤の使用やパーティションの利用により

最低限の社会活動ができるよう対応しています。

 

震災では人と人の繋がりで乗り越えてきました。

ところが、新型コロナの流行では、人と人の繋がりを制限しなければならない。

なんてことでしょう。

 

・・・ふと冷静になると気がつきました。

新型コロナでも、基本は人と人の繋がりなのだと。

確かに物理的には制限しても、

協力し合い、支え合うことには何ら変わりはないのだと。

人々は、新しいコミュニケーションの方法を模索し、動き出しています。